レーザーとは何か

2017/01/23

コヒーレンス

「コヒーレンス」(coherence)は日本語で「可干渉性」と訳される.水面に石を投げ込むことを考えよう.一つの石を投げ込むと,同心円状に波紋が広がっていく.このとき,水面の高さhを時間・空間の関数でh(r, t) と表す様な単純な関数が存在するだろう.これが,典型的なコヒーレントな波動である.つぎに,大きさが異なる多数の石をバラバラに,同時に投げ込む.水面に広がる波紋は複雑,ランダムで単純な関数では表せない.これがインコヒーレントな波のイメージである.「コヒーレントな波」という概念が多くの分野で明示的に登場しないのは,それらが暗黙の内に当然,コヒーレントであるからだろう.電磁波の世界では,ラジオ波はコヒーレントな波である.これは,波を発する源(アンテナ)と波の波長が同スケールであるため,波源から出た波が一つの石のように空間を振るわせるためである.一方,同じ電磁波でも光は本質的にインコヒーレントである.これは,光の波長が光を発する源のスケールに対して非常に小さいためである.電球のフィラメントは1cm程度の大きさであるが,これは放出される電磁波の波長の104倍のスケールである.フィラメントが光るのは個々の原子が熱振動する結果であるが,それらは互いに協調せずランダムに光を放出しており,観測される電磁波はインコヒーレントとなる.したがって,天然に観測される光には「干渉」「回折」といった波特有の性質が現れにくく,これが,19世紀まで光が一種の粒子ではないかと疑われた理由でもある.もっとも20世紀になってそれはそれで間違いでないことが再確認された.

コヒーレントな光は,それがどういう方法で作られようとも「一点から放射された」ものと等価である.電球から出た光を,レンズで集光しようと試みてもおよそ電球の大きさにしかならない.これは,互いにランダムな波源から出た電磁波が重ね合わせできないから,とも解釈できる.同じ事をコヒーレントな光に対して行えば,光は一点(実際は波長のスケール)に集中できる.これは,一度は空間の広い領域に広がった波がレンズの焦点で互いに同位相で重ね合わさるためで,コヒーレント,即ち可干渉な光にのみ期待できる効果である.

光領域でコヒーレントな電磁波があれば,短い波長と波としての性質を併せ持つ素晴らしい道具となりうる.しかし,そのためには波長の104倍も大きなスケールの発振器に存在する1020個もの原子から発する光を同じ位相で足し合わせることが必要である.この基本的アイデアの元になるのがかのA. Einsteinによりなされた.「誘導放出」の発見である.誘導放出については次節で詳しく説明する.

 図1はレーザーの基本構造の概念図である.ほぼ例外なく,レーザーは1) レーザー媒質 2) 媒質の励起手段 3) 光共振器 から構成されている.レーザー媒質は励起状態と基底状態を取りうる原子で,励起状態の原子は光周波数の電磁波を放射して基底状態に遷移する.基底状態の原子を励起状態に遷移させるのが励起手段で,媒質原子の種類により様々なものが考えられる.そして,レーザー媒質を挟み,正確に向かい合わせに置かれた一対の鏡が光共振器である.片側の鏡は反射率が100%でなく,透過率を持つ.


図1: レーザーの基本構造

レーザー発振は以下のプロセスで開始される.励起状態の原子は自然に光を放射して基底状態に戻るが,放射された光が隣の励起原子に当たると,その励起原子はやってきた光に誘導されて光を放射する.これを「誘導放出」という.放射された光がたまたま共振器の光軸方向であったとすると,それは媒質を出た後,共振器鏡で反射して再び媒質に戻る.すなわちフィードバックが発生する.光軸に平行な光はレーザー媒質の誘導放出をつぎつぎと引き起こし,半透過鏡の損失を誘導放出の利得が上回れば自励発振が開始する.これがレーザーの仕組みである.

 

自然放出と誘導放出

原子が,特有の発光スペクトルを持つことは何百年も前から知られていた.花火が赤や緑に輝くのは,火薬に混ぜられた金属の発光スペクトルによるものである.また元素分析としての「炎色反応」もよく知られている.分光学の発達により,原子は同じ波長の光を吸収することも明らかになった.しかし,その理由を説明できるようになるには20世紀初頭に原子の仕組みが明らかになるまで待つ必要があった.

図2は原子の構造を非常に単純化して示したものである.原子は,陽子と中性子からなる原子核のまわりを電子が回っているというモデルで良く近似できる.このとき,電子は自由な軌道をとることができず,電子の波動関数が定在波となる特定の軌道でのみ安定に存在できる.異なる軌道は異なるエネルギーを持ち,電子はよりエネルギーの高い外側の軌道から内側の軌道に移るとき,そのエネルギー差を電磁波の形で放出する.このとき,放射される電磁波は振動数n,プランク定数hとして


図2: 単純化された原子の模型と光の吸収・放出

\begin{align} E=h\nu \end{align}

という大きさのエネルギーを持ち,一つの粒子のように振る舞うのでこれを「光子」と呼ぶ.電磁波の放射は自然に起こるため,これを「自然放出」と呼ぶ.これが原子固有の発光スペクトルとして観測される. 一方,原子は放射スペクトルと同じ波長の光を「吸収」することもできる.エネルギーの低い状態にある電子が,一つ上の軌道と同じエネルギー差の光子と相互作用すると電子は光子を吸収,上の軌道に上がる.これらを模式的に示したものが図2で,異なるエネルギーの軌道をそれぞれ高さの異なる水平線で表示している.光子を吸収した原子はエネルギーが高い状態にあるがそれは不安定で,いずれは光子を放出する.すなわち光子の吸収と放出は相反する可逆過程である.

 1916年,Einsteinは,「原子に吸収と放出があるなら,誘導放出という現象があるはずだ」と言うことに気づいた.誘導放出とは,高いエネルギー状態にある原子とエネルギーの光子が相互作用し,原子が誘導されて光子を放出する,と言う現象である.後に量子力学の第一原理であるSchrödinger方程式から導出される事実であるが,Einsteinはこれを巧みな思考実験で発見した.


図3: 誘導放出を説明するEinsteinの箱

閉じた箱の中に原子が多数あり,この原子はエネルギーE2の上準位状態とエネルギーE1の下準位状態のみをとるとしよう.いま,箱は温度Tで熱平衡状態にあるとする.すると,エネルギーE1の原子とE2の原子数の比はBoltzmann統計に従い,

\begin{align}  \frac{N_2}{N_1}=e^{-\frac{E2-E1}{kt}} \end{align}

k  ボルツマン定数

と表される.一方,有限の温度を持つあらゆる物体は「黒体輻射」と呼ばれるスペクトル分布の電磁波を放出することが知られている.赤熱した鉄や太陽,炭火などが良い例であるが,人体も波長10μmにピークを持つ電磁波を放出している.したがって,温度Tで熱平衡状態にある箱の内部は次式で示されるスペクトル分布の電磁波で満ちている.

\begin{align}  \rho(\nu)=\frac{8\pi\nu^2}{c^3}\frac{h\nu}{e^{h\nu/kt}-1} \end{align}

ρ  光のエネルギー密度
c 真空の光速度

黒体輻射の電磁波のうち,たまたまエネルギーがhν=E2E1の関係を満たす成分は,閉じこめられた原子と相互作用を起こしうる.Einsteinは,この閉じた箱の上準位,下準位原子数が時間的に変化しない,すなわち熱平衡が成り立つ条件について考えた.エネルギーEiの原子数密度をNiとすると,その時間変化は

\begin{align}  \frac{{\rm d}N_2}{{\rm d}t}=-A_{21}N_{2}+B_{12}\rho(\nu)N_1\\  \frac{{\rm d}N_1}{{\rm d}t}=A_{21}N_{2}-B_{12}\rho(\nu)N_1\\ \end{align}

と表される.第1項が自然放出,第2項が吸収による変化で,A21B12はそれぞれ原子固有の定数である.しかし,この微分方程式は時間に依存しない解を持てない.Einsteinはここに誘導放出を表す第3項を加えた.N2に付いて示すと,

\begin{align}  \frac{{\rm d}N_2}{{\rm d}t}=-A_{21}N_{2}+B_{12}\rho(\nu)N_1-B_{21}\rho(\nu)N_2\\ \end{align}

である.誘導放出の意味は前述の通りであるが,当時まだその現象は見つかっていなかった.そして,式(2)と式(3)の物理法則を満たしつつこの微分方程式の解が時間依存しない条件を計算すると,必然的に以下の関係が導かれる.

\begin{align}  B_{12}=B_{21}\\ \frac{A_{21}}{B_{21}}=\frac{8\pi h\nu^3}{c^3} \end{align}

こうして,Einsteinは,自然放出と吸収の確率は比例すること,吸収があるなら必ず等しい確率で誘導放出が起こることを発見した.現在でもこれらの係数はEinsteinのA係数,B係数と呼ばれ,レーザー媒質の特性を語る上で最も重要なものの一つである.

 

吸収と増幅


図4: Einsteinの箱に単色性電磁波を作用させる

誘導放出は,発見されてからしばらくは何の実用的価値も見いだされなかった.しかし,1950年代になって科学者達は,これが電磁波の増幅器として使える事に気がついた.先ほどの箱に,単一の周波数の電磁波(単色光)を照射する.電磁波の周波数はhν=E2E1に等しく選ぼう.すると,箱の原子は電磁波と相互作用して誘導放出,吸収を起こす.原子の,電磁波に対する感度は中心周波数ν=E2E1/hを中心に有限の幅に広がっているから,これを,積分すると1になるスペクトル形状関数g(ν)で表す.典型的な原子のg(ν)はおよそ1GHzの幅を持っているが,光周波数は100THzのオーダーであるから非常に幅が狭い線スペクトルである.このとき,誘導放出のレートは,単色性電磁波のエネルギー密度rを使い

\begin{align} \frac{{\rm d}N_2}{{\rm d}t}=-B_{21}\rho g(\nu)\cdot N_2 \end{align}

と書ける.箱の断面積をSとすると,電磁波の進行方向にとった単位長さあたりに起こる誘導放出,吸収の数はそれぞれ以下のように表される.

吸収 \(B_{12}\rho g(\nu)\cdot N_1S\)
増幅 \(B_{12}\rho g(\nu)\cdot N_2S\)

吸収は単色光を減衰させ,誘導放出は単色光を増幅する.エネルギー保存則から,電磁波の強度変化(dI / dz)は以下の式で表すことができる.

\begin{align} \frac{{\rm d}I}{{\rm d}z}=h\nu B\rho g(\nu)(N_2-N_1) \end{align}


図5: 原子のスペクトル形状関数

ここで,EinsteinのB係数をA係数で書き直し,光強度I[W/m2]と光子エネルギー密度ρ[J/m3]が

\begin{align} \rho = I/c \end{align}

の関係にあることを考えると,

\begin{align} \frac{{\rm d}I}{{\rm d}z}=\frac{A_{21}c^2}{8\pi \nu^2}g(\nu)(N_2-N_1)I \end{align}

を得る.ここで

\begin{align} \frac{A_{21}c^2}{8\pi \nu^2}g(\nu) \end{align}

は「誘導放出断面積」と言われる量で,これをσ(ν)で表す.すると我々の得た表式は,

\begin{align} \frac{{\rm d}I}{{\rm d}z}=\sigma(N_2-N_1)I \end{align}

である.

この式の意味するところを考えよう.閉じた箱に原子が詰まっていて熱平衡状態にあるとき,Boltzmann統計から必ずN1> N2である.つまり,箱を通過した電磁波は原子に吸収される.これは昔から知られた現象である.一方,もしN1< N2という条件を作ることができるなら電磁波は増幅される.つまり,放射の誘導放出による光増幅,Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation = LASERが完成する.ここで,N1< N2という状態は自然にはありえないことに気づくだろう.熱平衡状態では上準位の密度は常に下準位より小さいのが自然の理だから,この状態は「逆転分布状態」と呼ばれる.温度を計算すると負の値となるため,この状態はしばしば「負温度状態」とも言われる.

誘導放出で光増幅ができることが分かってしまえば,逆転分布を作る方法はテクニックの問題である.多くの方法が知られているが,媒質によって下準位の原子を上準位に遷移する最適な方法は異なる.気体分子なら放電による電子衝突が,固体原子の場合はE2より更に高い順位に相当するエネルギーの光を当てて電子を励起し,E2の順位に自然に落ちてきたところを利用する.あたかも原子を汲み上げるかのようなこの操作は「ポンピング」と呼ばれる.我々に最も身近な半導体レーザーは,原子に束縛された電子でなく,半導体中を流れる電子と正孔が誘導放出を起こす.ポンピングは僅か数Vの電圧で良いので小型で効率が高い. 式(14)から,単位長さあたり増幅率,すなわち利得はσ(ν)と逆転分布密度,\(\Delta N=N_2-N_1\)の積であることがわかる.σ(ν)はスペクトル形状関数に一致するから,レーザーは原子の吸収・放出に伴う極めて狭い線スペクトルを増幅する増幅器である.

 

帰還増幅と発振

LASERを表す単語の中には,今日「レーザー」と呼ばれる装置に必ず含まれるものが欠けている.それは増幅器を発振器に変える「帰還増幅」のメカニズムである.ブロック線図を図6に示す.増幅器の増幅率をA,出力の分岐比をRとすると,この系の入出力特性Io / Ii


図6: 帰還増幅のブロック線図

\begin{align} \frac{I_o}{I_i}=\frac{A(1-R)}{1-AR} \end{align}

である.ここで,AR=1の関係があればIo / Iiは無限大となり,この系は入力がなくとも出力を発することになる.これが「レーザー発振器」の原理である.レーザー発振器では一組の鏡がフィードバックの役割を果たし,Aは共振器を一往復した光の利得

\begin{align} \gamma = e^{2 g l} \end{align}

g 利得係数=σΔN
l レーザー媒質長

ただし,この系はt = 0で入力がゼロなら系は出力もゼロで安定する.帰還増幅器が発振するためには,何か「きっかけ」になる入力が必ず必要となる.実際のレーザー発振器では,きっかけとなる入力は,たまたま光軸方向に放出された自然放出の光子である.