全気相化学ヨウ素レーザー(AGIL)

09/06/29改訂
09/05/23改訂
07/10/01

従来型COILの弱点


図1: 化学酸素沃素レーザー(COIL)の発振原理

図1は,化学酸素沃素レーザー(COIL)の概念図である.COILは主に

  1. 励起酸素の発生
  2. 沃素との混合,沃素の解離
  3. エネルギー移乗,逆転分布生成およびレーザー発振

の三つのパートから成っている.COILの主なアプリケーションにミサイル迎撃などの防衛用途があるのは周知の通り.中でも,有名なAirborne Laserはまもなく実戦配備されるだろう.しかし,防衛用途にCOILを使うとき,産業用ではあまり問題にならない「BHPの生成」が弱点として立ちはだかる.BHPとはBasic Hydrogen Peroxideの略で,COILのいわば燃料である.BHPは過酸化水素水にKOH水溶液を混ぜることにより生成するが,このとき結構な反応熱が生成する.

\begin{align}  {\rm H}_2{\rm O}_2{\rm (aq.)}+{\rm KOH(aq.)} \longrightarrow {\rm BHP}+\Delta H\\ \end{align}

\(\Delta H\) ~50kJ/mol (濃度による)

BHPは温度が上がると激しく分解して酸素を発生するので,常温より低く保つ必要がある.従って過酸化水素水とアルカリの混合は冷却しながらゆっくり,慎重に行う必要がある.もちろん,敵が現れてから混合を始めても遅い.

「では,予め混ぜておいたら」と思うだろうが,実はそれも余り良い方法ではない.BHPは反応性が高いため,ほんの僅かな不純物が存在しても自発的に分解を始める.これは冷却によりある程度遅らせることが出来るが,大まかに言って1日持たせることは困難.

Airborne Laserではどうしているかというと,これは推測の域を出ないが,地上で生成したBHPの組成を,機中で電気分解反応を利用して一定に保つ装置があるものと思われる.BHPの電気分解は我々もかつて研究したことがあるがとても難しい.加えて,BHPは本来反応に関わらない水がその重量の約1/2を占めるため,機動性が重要視されるアプリケーションには不利である.

これらの問題を一気に解決する方法が,反応プロセス(1)を全く異なるものに置き換え,気相反応のみで沃素を励起可能な媒体M*を生成する,と言うものだ.これを「全気相型化学沃素レーザー(AGIL)」と呼んでいる.

AGILのもたらすメリットは何も防衛目的にとどまらず,産業用,防災用などCOILの応用が適用可能なあらゆる応用にとって福音となる.そこで我々も米軍と関連企業のグループに続いて,AGILの研究を始めることにした.

  

AGILの二方式

長年にわたる基礎研究の結果,M*の候補はほぼ\({\rm NCl}(^1\Delta)\)と\({\rm NF}(^1\Delta)\)に絞られた.そして,生成反応の容易さからさらに\({\rm NCl}(^1\Delta)\)が選ばれ,AGILのレーザー媒質としては現在\({\rm NCl}(^1\Delta)\rightarrow{\rm I}\)エネルギー移乗型のみが研究されている.

\({\rm NCl}(^1\Delta)\)を生成する方式も,現在二つの方法が研究されている.日本語による正式な名前はないが,ここで一つを「アジド系」,もうひとつを「アミン系」と呼ぼう.それぞれの化学反応は以下の様に表される.


図2: アジド系AGILとアミン系AGIL

アジド系AGILのばあい,エネルギー源に成るのは\({\rm HN}_3\),通称アジ化水素だ.アンモニアとは違うので注意.アジ化水素の塩であるアジ化ナトリウム\({\rm NaN}_3\)は一時期エアバッグのインフレーターとして使われていた.\({\rm HN}_3\)から\({\rm NCl}\)を得る方法は,一度\({\rm HN}_3\)から\({\rm N}_3\)ラジカルを分離して,それに塩素原子を作用させる.一方,アミン系の場合,原料になるのは\({\rm NCl}_3\),通称トリクロラミン.こいつに水素原子を作用させ,塩素をはぎ取ると\({\rm NCl}(^1\Delta)\)が生成する.

アジド系AGILは2000年に初のレーザー発振に成功している[1].その後,出力は数十Wの装置まで開発されているが,アジド系AGILには一つ問題がある.使用される化学物質がかなりやっかいなのだ.\({\rm HN}_3\)は青酸ガスとほぼ同等の毒性を持つ気体.フッ素は常温常圧ではF2分子だが,かなり強力な腐食性がある.加えて,DCl(HClの同位体)は一般のガス屋さんには売っていない特殊なガスで,日本では手に入れることすら不可能.従って我々は早々とアジド系に見切りを付けた.

一方,アミン系AGILの場合,原料物質のトリクロラミンは常温常圧では黄色の揮発性液体で,昔は漂白剤に使われていたくらいだから毒性は比較的弱い.水道のいわゆる「カルキ臭」はこの化合物のせいなので,日常的にお目にかかれる物質でもある.もちろん,化学レーザーの燃料になるくらいだから厄介な化合物には違いないが,アジド系の反応に比べれば御しやすい.というわけで我々はアミン系に的を絞りAGILの研究を始めた.

  

先行研究

2007年9月現在,未だアミン系AGILの発振に成功したという報告はない.つまり,我々を含め幾つかのグループによる「一番乗り」を争っている状態だ.器機の構成も試行錯誤の状態で決めてとなるものはないが,恐らくは図3のようになるものと推測される.


図3: アミン系AGILの装置構成図(一例)

現在までにアミン系AGILの実験装置について二つの研究機関からの報告がなされている.一つはDenver Research InstituteでもうひとつがPhysical Sciences Inc..これら二つの機関がライバルとなるが,我々はいわば新参者で,彼らの報告から多くを学ばせてもらった.


図4: Denver Research Instituteの実験装置[2]

図4はDenver Research Instituteの実験装置.DRIからは未だ沃素を混合した実験結果についての公表はない.DRIの装置の目的は二つある.一つは\({\rm NCl}(^1\Delta)\)生成過程の素反応の解明,そしてもうひとつは放電を利用しない純化学AGIL実現のための基礎研究だ.\({\rm NCl}_3\)は適当な触媒存在下で自発的に解離することが知られており,生成物はCl原子と\({\rm NCl}(^1\Delta)\)である.あとはこれにHIを混合するだけでAGILが実現するはずである.放電で解離したClを加えているのはそのため.H原子はClラジカルと水素分子の反応により放電なしに生成可能である.


図5: Physical Research Instituteの実験装置[3]

図5はPhysical Research Instituteの実験装置だ.まだ本気でレーザー発振を狙っているわけでは無いようだが,構成としてはGain Diagnosticの部分に光共振器を組み合わせるだけでAGILが完成する.残念ながら,I*→Iのレーザー遷移の利得は現在のところマイナス.逆転分布を得るまでには至っていない.

これら先行研究に対して我々が持つ強みは詳細な化学反応=光子連成ミュレーションコードによるレーザー発振条件の探索だ.シミュレーションコードの概念図を図6に示す.


図6: Multiple leaky-streamtube動力学コードの概念図

このコードはもともとCOILのレーザー出力予測のために開発したもの[4]を,AGIL用に書き直したものだ.シミュレーションは反応ガスが流れるフローチューブを流れ方向に細かく離散化し,流れと直角方向には何本もの仮想的なチューブがあるとしてモデル化する.隣り合うチューブには拡散係数から決められたレートで「もれ」があり,それがガスの混合をモデル化する.いわゆるleaky stream-tubeモデルを発展させたものだ.レーザー発振はルーフトップ型光共振器によりモデル化される.このシミュレーション用いれば,実際に装置を開発するときに効率よくレーザー発振可能な流量条件,インジェクタ位置を探索することができる.

 

レーザー発振まで


(1) NCl3生成系



(2)フローチューブ(レーザー本体)

    図7: 実験装置の概念図


(1) NCl3生成系


(2)フローチューブ(レーザー本体)

図8: 実験装置の写真

実験装置の概念図を図7に,写真を図8に示す.実験装置はNCl3生成系とレーザー本体に分かれる.NCl3は残念ながらお店では売っていないので,実験の度に自分たちで生成する必要がある.生成装置も初代から改良を重ね,満足の行く性能が出るまでに1年半を要した.

午前中いっぱいで充分な量のNCl3を作ったら,午後はレーザー発振実験だ.レーザー装置は上流のミキシングチューブと下流のゲインセクションに分かれる.ミキシングチューブでは,最上流からNCl3がArに押され,10cmほど下流でH原子(放電で生成)とHIが同時に噴射される.混合ガスは横幅8cm,高さ1cmの矩形ダクトに導かれる.いきなりレーザー発振実験は無謀なので,まずは利得を計測する実験からスタートした.

レーザーの利得を測る方法は,一般的にレーザー遷移と同じ波長にチューニングした他のレーザーをプローブとして入射,一往復した後の強度変化を計測する.逆転分布が成立していれば一往復後のレーザー強度は増えるし,逆転分布していなければ吸収が観測される.幸い,1.3μmは光通信の波長帯なので,非常に優秀な半導体レーザーが割合安価に入手出来る.プローブレーザーの波長を掃引すれば,沃素原子の遷移のところだけ吸収or増幅が観測される,というわけだ.

しかし言うは易し.AGILの予想される正利得は一往復0.1%程度.真空ポンプの振動が床から伝わってくるし,装置そのものは振動しているし,満足な利得が測れる様になるまでも改良,改良の連続で相当時間が掛かった.

2008年2月16日,おぼろげながら利得らしきものが見えるようになった.しかしノイズに埋もれてほとんど判別できず,再現性も悪い.それから半年いろいろと工夫を重ね,ようやく再現性よく利得が得られるようになった.典型的な利得計測の結果を図9に示す.

Fig9: 利得計測結果.上は時間を追って表した\({\rm NCl}(^1\Sigma)\)蛍光強度とその時の利得.下は時刻20,80,260,290sにおける利得計測結果の生データ.

NCl3は凍らせておいたものを蒸発させて使うので流量のコントロールが難しい.時刻ゼロでは流量はほとんどゼロ.その後流量が安定するまで100秒くらいかかる.\({\rm NCl}(^1\Delta)\)生成量は,複製生物である\({\rm NCl}(^1\Sigma)\)の赤い蛍光を拾って確認している.利得が当初のマイナスから徐々に減っていることが分かると思う.そのとき,利得計測プローブレーザーの吸収は右のグラフのようになっている.そしてt=290sでとうとう損失が利得に変わったことが鮮やかに捕らえられた.絶対値は一往復で約0.05%.小信号利得に換算すると0.005%/cmだ.非常に小さいが,世界初の成果となる.

 

レーザー発振成功

そして2009年4月4日,ついにレーザー発振が観測された.それまでも,何回かはミラーを装着してのレーザー発振実験に挑んできたがいずれも不発.今回はNCl3生成系に改良を加え,満を持しての再挑戦.実験装置の構成をFig. 10に示す.


Fig10: レーザー発振実験の構成.Si Photodiodeでプラズマの発光を,Ge Photodiodeでレーザー波形を見ている

\({\rm NCl}(^1\Sigma)\)の蛍光強度が10,000カウントを越えたとき,ミラーの先に置いたGe Photodiodeが明らかな信号を捕らえた.発振だ!その瞬間の,血液が沸騰するような興奮は今でも忘れられない.いままで,「画期的」と言われる研究成果を幾つか出してきたが,これは別格.なにしろ,我々は「新しいレーザー」を作ったのだから.

さて,「一番乗り」を宣言するため,研究成果を速やかに報告しなくてはならない.ここで「はた」と考える.誰もが納得する,レーザー発振の証拠とは何だろうか.かつて,ガスレーザーの世界で,明らかに発振していないにもかかわらずレーザー発振を宣言した日本人がいて,業界における日本人全般への風当たりは強い.そこで,発振初日に最優先で三つのデータを取得することにした.

  1. レーザー出力の時間波形
  2. パワーメーターによる出力測定値
  3. バーンパターン


Fig11: レーザー出力の時間波形

図11はGe Photodiodeで取得したレーザー出力の時間変化,Si Photodiodeで取得したプラズマの発光,そして電源電圧の時間変化である.レーザー波形だけ,わかりやすさを強調するため同じ波形を時間方向に2回くり返し描画してある.光共振器は全く同一の2枚のミラーからから構成されるため,レーザー出力は検出値の2倍となる.グラフではファクター2を掛けて表示した.レーザー出力は約50mW,デューティー比約40%の繰り返し発振だ.理由は簡単で,水素原子を供給するマイクロ波プラズマを電子レンジのマグネトロンで作っているから.最近は違うと思うが,昔の電磁レンジは古典的な半波整流方式なので,マイクロ波は間欠的に出力される.もちろん,水素原子が連続的に供給されればレーザー発振も連続波となる.

パワーメーターの出力は,残念ながら記録が残っていない.さすがに,初日にそこまでの記録を取るほど冷静でいられなかった.パワーメーターですら,慌てて他の実験室から持ってきたくらいだ.後日取得した,平均レーザー出力の時間変化を図12に示す.


Fig12: レーザー出力の時間波形

\({\rm NCl}(^1\Sigma)\)の蛍光強度がある値(約10,000)を越えると発振が始まり,あとは\({\rm NCl}(^1\Sigma)\)蛍光強度の増大に従いレーザー出力も増大していく.300秒で発振を打ち切っているが,ここが限界というわけではなく,燃料がつきるまでいつまでも発振は持続可能.

そして,レーザービームによって光るフォスファ(赤外線検知紙)の写真を図13に示す.紙の一つでも焼いてみせることができれば間違いないのだが,平均出力10mWではこれが限界.しかし,横モードの形は紛れもなく亜音速の化学レーザーに見られる典型的な菱形ビームパターンを示している.


Fig13: レーザー横モード

物理的には,レーザー発振の証拠といえばスペクトルの狭帯域化や指数関数的な増幅を言うのだが,「レーザービーム」が出ているところを見せるのが一番手っ取り早い.

さて,世界初のアミン系AGIL発振を目指して行われた研究は一つの区切りを迎えたわけだが,これで研究が終わったわけではない.むしろ,世界で唯一のレーザー装置を持つ我々は,今のうちがライバルを引き離すチャンス.本年度中に,今とは異なる方式で発振するAmine-AGILの研究を実施する予定.

 

原著論文および学会発表

「全気相型沃素レーザーの活性媒質の生成」 2007年9月 第68回応用物理学会講演会

「全気相型沃素レーザー(AGIL)媒質の反転分布生成」 2008年9月 第69回応用物理学会講演会

「全気相型沃素レーザー(AGIL)」 2009年9月 第70回応用物理学会講演会

T. Masuda, T. Nakamura, M. Endo and T. Uchiyama, "A study on an All Gas-Phase Iodine Laser based on NCl3 reaction system," SPIE Photonics West 2008 High Energy/Average Power Lasers and Intense Beam Applications II, San Jose CA, Jan. 21-24, 2008.

T. Masuda, T. Nakamura, M. Endo and T. Uchiyama, "Achievement of positive gain in the amine-based all gas-phase iodine laser system," XVII Gas-flow and Chemical Lasers and High-Power Lasers, Lisbon, Portugal, Sep. 15-19, 2008.

T. Masuda, M. Endo and T. Uchiyama, "Numerical simulation of an all gas-phase iodine laser based on NCl3 reaction system," J. Phys. D: Appl. Phys. 41 (2008) 055101 (8pp)

T. Masuda, T. Nakamura, M. Endo and T. Uchiyama, "Observation of Pumping Reaction in an Amine-Based All Gas-Phase Iodine Laser Medium," Jpn. J. Appl. Phys. 48 (2009) 032501

T. Masuda, T. Nakamura, M. Endo and T. Uchiyama, "An all gas-phase iodine laser based on amine chemistry," Chem. Phys. Lett. 476, pp. 25-27, 2009.

 

その他報道

"New iodine laser achieves positive gain", SPIE Newsroom SPIE Newsroom Article 26878, http://spie.org/x26878.xml?ArticleID=x26878

第70回応用物理学会学術講演会プレスプレビュー「新化学レーザー,世界初の発振に成功

東海大学ホームページ 理学部ニュース 2009.9.11 「遠藤雅守准教授が応用物理学会マスコミプレビューで発表」

「新化学レーザー発振成功」化学工業日報 9/2

「ガス使い発振瞬時 - 東海大が開発」日経産業新聞 9/18

「新化学レーザーの発振に成功」 レーザーフォーカスワールドジャパン2009年10月号

「新物質使い化学レーザー」日刊工業新聞 10/27

「『コヒーレントな光』が宇宙を掃除」 東海大学新聞 11/1

「探求人」朝日新聞 11/3

 

参考文献

  1. T. H. Henshaw et al., "A new energy transfer chemical laser at 1.315μm," Chem. Phys. Lett. 325 (2000) pp. 537-544.
  2. W. E. McDermott et al., "Flow Tube Studies of NCl3 Reactions," Proc. SPIE 5334 (2004) pp.11-17.
  3. J. R. Amy Bauer et al., "Studies of an Advanced Iodine Laser Concept," AIAA2005-5040 AIAA 36th Plasmadynamics and Lasers Conference, Toronto, Ontario, Canada, 2005.
  4. M. Endo, T. Masuda and T. Uchiyama, "Development of Hybrid Simulation for Supersonic Chemical Oxygen-Iodine Laser," AIAA J. 45 (2007), pp. 90-97.
  5. T. Masuda, T. Nakamura, M. Endo, Taro Uchiyama, "An all gas-phase iodine laser based on amine chemistry," Chemical Physics Letters 476 (2009) pp. 25-27.